うれしがり日記

GONG

リシーヴ魂隊の関西地区総長のGONGさんのコラム。『ヤマハ携帯サイト「ケータイクリエイターズ広場(Kクリ)」にて3つのレギュラーコーナーを展開中。あらゆるジャンルに興味を持つ趣味人間。特に収集欲、物欲が強い。広く浅い知識を誇るオタクになり切れないオタク。』とご本人。楽しいコラム間違いないです。

『夢のカタチ』


「夢」って 一体何なんでしょうね?

いきなり哲学的な入り方で恐縮ですが。


先日、仕事のご縁で知り合った、滋賀県で整体院を
営んでいらっしゃる西山さんという方とお会いしました。

この西山さん、なんと!2012年のロンドン・パラリンピックに
日本代表として出場された方なのです。

その西山さんとお会いして、まず最初に言われたのが
「(本名)さん、スゴいですね!」と。

え?え?何のこと?と思いましたらば、
前回もこちらで書きました、ラジオ出演のことなのでした。

その時 ハッ として、「言われてみれば、スゴいことなのかな。」
と、今更にして実感したのでした。

それにしても、西山さんからその言葉を聞いたのが意外でした。
「スゴい」と言えば西山さんの方が何十倍もスゴい方なのです。

24歳の時にビルの窓ふきのアルバイト中、7階の高さから転落。
全身に大怪我を負い、一時は一生寝たきりの生活も覚悟された
そうですが、必死のリハビリで杖をついて歩けるまでに回復。

その過程で様々なスポーツに挑戦され、ついにはパラリンピックに
出場を果たされるまでになられました。

そんな方から見たら、自分なんて本当に甘ちゃんもいいところだと
思うのですが・・・


思い返せば、ラジオで喋る、というのは昔からの夢でもありました。

小学生の頃「MBSヤングタウン」を聴き、その楽しさに引き込まれ
ました。
あまりに楽しいその会話に「その輪に加わりたい!」と思ったのでした。

過去のコラムと重複しますので詳しくは割愛しますが、その後、色んな
番組に「投稿」をするようになり、「輪に加わりたい」という夢は、ある
程度叶えられました。

すると今度は「もし自分がマイクの前に座れば、こんな番組にしたい」
ということをおぼろげに思うようになりました。

今にして思えば、これもまたひとつの「夢」だったのかも知れません。
しかしそう考えていたのは20代の頃の話しで、やがてだんだん
それほど考えなくなっていました。

それが、40を超えた今にして叶った形になったわけです。


まず「夢」にはそれぞれパワーがあると思います。

絶対に叶えたい、何としても実現するんだ!という強いパワーを持った
夢もあれば、「あんなこといいな♪できたらいいな♪」的な、ほんわかした
夢もあるんと思います。

僕の場合は後者でした。もし僕が、何がなんでもラジオに出たい!と
思えば、放送局へ就職する方法を必死で模索したり、アナウンサーの
専門学校に入ったりということをしたでしょう。

でもそこまで根性のある夢ではありませんでした。

しかし面白いのは、
強い夢だから必ず叶うという保証はありませんし、今回の僕のように、
ほんわか持っていたような夢でも、叶ってしまうことはある、ということです。


夢の持ち方にもポイントがある気がします。

例えば丁度これを書いている今、夏の甲子園の季節なのですが、

高校球児なら皆「甲子園に出たい!」という夢は持っているでしょう。
でもそれが叶えられるのはほんの一握りです。

「甲子園で優勝したい!」となるともう、ほんの一部の人達に限られます。
それが高校生活3年間の間に叶えられなければ、その夢は残念ながら
おしまい、ということになります。

では、甲子園に出場出来なかった高校球児たちの夢は、全く無意味な
ものになってしまうのでしょうか?

中には将来指導者になって、チームを率いて甲子園の土を踏む人も
いるかも知れませんし、結婚して子供をもうけ、その子に甲子園の夢を
託す人もいるかも知れません。

夢の「カタチ」はいつまでも同じ、とは限らない、ということですね。


自分にはもうひとつの夢がありました。「音楽」です。
当時は非常に漠然としていましたが、今にして思えばようするに
「音楽を職業とする」ことに憧れていたんだと思います。

その夢がもし強ければ、きっと奈良を飛び出して東京へ行っていたと
思うのですが、そのような根性もなく(苦笑)「いつか出来たらいいな~」
というゆる~い夢を持ち続けていました。

で、細々と打ち込みの活動を続けていたところ、カラオケデータ作成や
着メロ作成の仕事に出会い、音楽で「報酬を得る」というカタチで
夢が叶ってしまったわけです。

友人に「これってさ、音楽で飯食ってる って言っていいのかね?」と
尋ねて「いいんじゃないの?」と言われた時、すごく嬉しかった覚えが
あります。

「叶った」と書きましたが、それは夢のカタチを変えたからこそ叶った
夢であるわけです。
「妥協」と言われてしまえばそれまでですが。(苦笑)

もし僕が、プロのミュージシャンになってステージに立つ!という夢を
譲らなければ、この夢は叶っていませんし、多分これからも叶うことは
ないんじゃないかな?と思います。

しかし、ゆる~くニョロニョロとした夢を持ち続けたことによって、
音楽で収入を得ることも出来たし、CDを出すことも出来たし、
ステージに立つことも出来ました。

もちろんそれらは僕一人の力で成し得たわけではなく、多くの色んな
方々との出会いがあり、助けがあってこそのことなのですが、

その出会いもまた、夢を持ち続けていたからこそ、という気がしています。


甲子園の準優勝チームの選手は、
「甲子園に出たい!」という夢ならば見事叶ったわけですが、
「優勝したい!」という夢ならば叶わなかったということになります。


そこで気になるのは、「どっちが幸せなのかな?」ということです。

甲子園に出たことを一生の誇りに生きていく人生、
甲子園で優勝出来なかったことを悔やみ続ける人生。

でも人間って、そんなにヤワには出来てないと思うんですよ。僕は。

ちゃんと夢を「消化」する力を持っています。

たとえ甲子園に出られなかったとしても、仲間と一緒に夢に向かって
努力した日々は、絶対にその人に人生の支えとなるハズなんですよね。


結論としまして、
夢は叶えることに意義があるのではなく、持つことにこそ意義がある。

強い夢ほど、叶わなかった時のショックは大きいと思いますが、
そこで夢のカタチを変える柔軟性も、人にとって大事なんだと思います。

夢を「捨てる」のではなく、カタチを変えるのです。


西山さんはきっと、事故によってそれまで持っていた夢を絶たれてしまった
ことでしょう。

しかし夢を捨てることなく、柔軟にカタチを変え、今出来ることを精一杯された
結果、現在があるのだろう、と勝手に想像します。


叶う夢 叶わない夢
強い夢 弱い夢
色々あると思うんですが、

どんな夢であれ「持つ」ことが大事なのだ、と、今痛感してます。


持ち続けてさえいれば、
今は叶わなくても、10年後、20年後、30年後には叶うかも知れませんよ?

それも、今の自分が想像もしないカタチで叶うかも知れません。

面白いですよね。