うれしがり日記

GONG

リシーヴ魂隊の関西地区総長のGONGさんのコラム。『ヤマハ携帯サイト「ケータイクリエイターズ広場(Kクリ)」にて3つのレギュラーコーナーを展開中。あらゆるジャンルに興味を持つ趣味人間。特に収集欲、物欲が強い。広く浅い知識を誇るオタクになり切れないオタク。』とご本人。楽しいコラム間違いないです。

「ライブハウスよ永遠なれ」


今回もまた「今月はコレでいこう」というネタがあった
にもかかわらず、締切直前に大ニュースが入ってきまして
急遽内容を差し替えました。

それも嬉しくないニュースです。

京都の有名ライブハウス、あの「都雅都雅」が閉店すると
言うのです。

様々な想い出の詰まったライブハウスです。


メジャーデビュー前の馬場俊英さんもよくここで観ました。

ある日などは、イベントライブのゲストで馬場さんが出て
いて観に行ったのですが、その日は対バンのバンドの内輪
パーティのようなライブで、馬場さんの常連ファンはおそ
らく僕1人でした。

しかも馬場さんはマネージャーさんもその日は付いてきて
なくて、たった1人でギターを背負って都雅都雅へやって
きたのでした。

よほど寂しかったのでしょうか、「GONGさん、時間あ
ります?」ってことで、馬場さんと2人新京極へお茶しに
行ったのでした。


都雅都雅の上の階は以前電気屋さんが入っていたのですが、
店内放送の配線はなぜか地下の都雅都雅にも繋がってい
たようでした。

それが判ったのは、ある日の近藤ナツコさんのライブ。
さあいよいよ1曲目!という時になぜかホール内に
「蛍の光」が流れだしたのです。(笑)そう、電気屋さんの
閉店時間だったのです。


「想ワレ」さんと「梅谷陽子」さんが同時に出演した
ライブもここ都雅都雅で目撃できました。

それぞれ顔見知りではあったのですが、この2組には
接点が無いと思っていました。ところが話しを聞いて
みると実は以前からお友達同士であった、ということ
を聞かされ、驚いたのもここ都雅都雅でした。


そしてpick upさんと知り合ってからはさらに、
SPYGLASSなどたくさんの素晴らしいバンドと出会い、
この都雅都雅でライブを楽しませてもらいました。

そして何よりも、一昨年の「オヤジバンド合戦」
まさか、まさか、まさか自分があの都雅都雅のステージ
に立てるとは。あの「都雅都雅」のロゴを背にして
演奏が出来るとは。

まさしく夢のようでした。


ずっとずっと、変わらずそこに在り続けるお店だと
思っていました。


閉店と言えば、都雅都雅のすぐ近くにあった
「まっちゃん」というお店が閉められた時もショック
でした。

小さいながらも色んなミュージシャンのライブを楽し
ませてくれました。

マスターが馬場俊英さんのファンであったことからお話し
させて頂くようになり、ライブの無い日でもランチを
食べにお邪魔したりもしました。

美味しかったなぁ。そう、「まっちゃん」は食事も美味
しかった。本当に惜しまれる閉店でした。


そうこうして振り返ってみると、想い出の中に消えて
いってしまったライブハウスが結構たくさんあることに
気が付きました。


おそらく一番最初は、梅田にあった「バーボンハウス」
ですね。当時はまだ音楽ファンというよりは声優ヲタク
で、三ツ矢雄二さんや島津冴子さんといった声優さんの
ライブを主に観に行ってました。

それからアメリカ村にあった「ネストサルーン」ウエス
タン風のカッコイイお店でした。馬場俊英さんと初めて
出会ったのもこのお店でした。

旧なんば花月の下にあった「マザーホール」というお店。
結構広いハコでした。伝説のテクノポップバンド
「まにきゅあ団」が関西で最初で最後のライブを行った
場所でした。この時、今をときめくゲームサウンドクリ
エイターの細江慎治さんとお話しさせてもらったのが
いい想い出です。

心斎橋にあった「燦粋」もいつしか無くなっていました。
ダンスイベントなんかでよく使われる、基本オールスタ
ンディングの会場で、レゲエやってる友達がよく出てい
ました。

安治川口にあった「ヒポポタマス」というお店、ここが
また面白かった!駅から団地の中をてくてく歩いていって
「本当にこんなところにライブハウスがあるのか?」と
思っていたら、場違いな感じでその店はちゃんとありました。

で、そのヒポポタマスのオーナー、通称「ヒポポ大王」
がこれまた面白くて、初めて行く際に予約メールを入れ
ましたところ、それに対する返信メールが

  「了解ラジャー!」

これ一言のみ。(笑)もーぶっ飛びました。

高槻に「DOVE-TAIL」というお店がありました。近藤ナ
ツコさんが所属していた「ザ・まめなっつ」という
バンドがよくここでやってました。

飲み屋がひしめく雑居ビルの中にある隠れ家的な
ライブハウスで、独特の雰囲気を持っていました。

心斎橋にあった「ウィステリア」は、バリバリの高級
イタリア料理のお店でした。「カーナヴァーウ」という
女性アカペラグループがライブをやるというので行って
みたのですが、ま~自分なんかは場違い感満点でした。

ライブでなければ一生来ることは無かっただろうな、と
いうそんなお店にも、ライブは連れて行ってくれます。

そしてなんと、後日カーナヴァーウとは全く別のルート
から偶然にも、この「ウィステリア」のサイトを作るので
手伝って欲しい、という、仕事の話がやってきたのです。

しかしその話がまとまる直前に、閉店のお知らせが・・・


さて、ライブハウスの閉店と言いますと皆様記憶に残って
いるのではないか、と思われるのがやはり
「バナナホール」ではないでしょうか。

訴訟問題にまで発展したものの、結局閉店・改装し、
現在は「Umeda AKASO」となっているわけですが、残念
ながら、と言いますが、バナナホールの面影はほとんど
残っていません。

バナナホールは音響も良かったし、天井が高くて観やす
かったし、本当にいいお店でした。料理も美味しくて、
特に「チーズボール」が大好きで毎回注文してました。

「エージ&テツ」が出演した時、ちょっとお手伝い的な
こともさせて頂いて、楽屋も見せてもらったりしました
し、

馬場さんのライブを後方で立ち見していたら、すぐ隣に
えらい背の高い人が立ってるなー、と思ったら、お忍び
で来ていたコブクロの黒田さんだったり(笑)

メジヤーデビュー前の中孝介も観たし、あと、友達が
バナナホールで照明をやっていた、ということもあり
ました。

本当に想い出は尽きません。


まとめてみたらまだまだありました。

店の名前が思い出せないのですが、難波の高島屋近くに
あったライブハウス。1Fにウェディングドレスのお店
が入っている建物の上という不思議な立地でしたが
復活ラウドネスとか観に行きました。

関西以外では、渋谷にあった「多作」も閉じてしまって
ました。わりとシンプルでそっけない感じのお店でしたが
それが逆に印象的でした。

あと、一度も行ってないのに閉店が残念だった店、と
いうのもあります。天王寺にあった「不思議の国のアリ
ス」というお店。とても怪しい看板が電車からよく見え
たのです。どんな店なんだろう?いつか行ってみたいな
とずっと思い続けているうちに閉店。

大阪南港に「ベイサイドジェニー」というお店がありま
した。何度も足を運びましたが、実はライブは一度も観て
いません。何を観ていたかと言いますと、女子プロレス。

旗揚げしたばかりの「吉本女子プロレス」がここで定期的
に試合をしていました。

当時面識のあった「バイソン木村」選手が、目の前で骨折
したなんてこともありました。


閉店ではないけれど、改装やオーナー交代などにより雰
囲気が変わってしまったというケースもありますね。

現在堀江にある「Knave」は以前心斎橋にありました。
とても広くてゆったり観られましたし、横にはバーもあっ
て終演後もゆっくり出来ました。交通の便も良かったし。

心斎橋のクラブクアトロも梅田に行ってしまったし・・・

そうそう、我が奈良県でも「ネバーランド」というライ
ブハウスがありまして、以前はJR奈良駅のすぐ近くと
いう好立地にあって、実は自分も出させて頂いたりして
いたのですが、新大宮に移転になり、ちょっと不便になっ
てしまいました。

ライブハウスではないけれど、大阪厚生年金会館の閉鎖
も残念でしたね。聖飢魔IIやVOWWOW、ラウドネス
などなど、たまにメジャーどころを観る時はだいたいここ
でした。


ついでに書いてしまうと、芝居小屋なんかもいくつか
消えてしまっていました。

梅田の神山町にあった「扇町ミュージアムスクエア」
ここの閉鎖が決まった後、よく観に行く「PM/飛ぶ
教室」という劇団のお芝居を観に行きました。

最後、座長である蟷螂襲さん演じる主人公が号泣して
終わるお芝居だったのですが、カーテンコールで再び
登場した蟷螂さんは、なんとまだ号泣していました。

聞けば「ここは演者としてだけでなく、客としても何度
も足を運んだ。もうここに来ることが無いと思うと
とても悲しい。」ということでした。あの涙は演技でな
なくマジ泣きだったというわけですが、気持ちが痛い程
伝わってきました。

ミナミのど真ん中にあった「精華小劇場」も終わって
しまいましたね。ここは元々「精華小学校」の校舎で、
それを芝居小屋に仕立て上げてしまった面白いハコで
した。


多分まだ他にもあります。

こんなにも、沢山の「想い出の場所」が失われていた
ということを認識して、愕然としました。


その店、その会場を愛したお客さんもそうですが、

出演者ともなれば、皆多かれ少なかれ、ステージに
魂を残していってると思うんですね。


これ、前回の話にも通じてしまうんですが、
今当たり前に普通にある会場も、決して「永遠」である
保証は無いわけですね。

ずっとそこにあると思っていた、「帰る場所」だと
思っていたところが無くなってしまうというのは
本当に寂しいことです。


その後の情報で、都雅都雅に関しては再建をあきらめて
はいないとのこと。ぜひ[都雅都雅]の看板を絶やさな
いで頂ければ、と思います。


そして現在存在するライブハウスの皆さん、ぜひとも
何とか少しでも長く、続けて頂きたいと思います。

音楽が楽しめて、お酒が楽しめて、料理が楽しめて
人との出会いが楽しめる。こんな贅沢空間は、どうし
ても手放したくはないのです。

今の時代、ライブハウスはどこも厳しいと聞きます。

だからこそ、「商売」だけではやっていけるハズは無く、
皆さん音楽への熱い想いを持ってライブガウス経営に
当たっていらっしゃると思います。


そんなライブハウスを、僕はこれからも応援したいと
思います。