映画に学べ

和泉歳三

大分の映像制作・モデルタレント事務所CINEMASCOPE代表。
映像ディレクター/ご当地アイドルSPATIOプロデューサー。
「映画ヲタク歴」と「アイドルヲタク歴」は40年以上の筋金入りの「ヲタク」。
九州一のマイナー県・大分の地から全国に向けて「映画愛」「アイドル愛」配信中。

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「GODZILLA〜ゴジラとは何なのか?〜」

第101回

2014.9.15更新

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ハリウッド版「ゴジラ」

スケール感や迫力は言わずもがな。観て損はない。
一番の驚きは、これが「ゴジラVS人間」ではなく「ゴジラVS新怪獣」だったこと。結果、当初想像していたテーマ「ゴジラは神か悪魔か?正義か悪か?」が薄れてしまった感がある。
初代ゴジラの「核実験が生んだ悪夢」という設定もアメリカの都合良く置き換えられている。ビキニ環礁での核実験がゴジラを倒すためだった。という設定は笑える。アメリカはどこまでも「核=悪」とはしたくないようだ。
さらに放射能を餌にする新怪獣の出現によって、ゴジラのアメリカ上陸理由も、「怪獣を倒すための本能の赴くまま」ということになり、「人類への恨みや怒りからの文明の破壊」もあまり感じさせない。
ここで考えたのが、「ゴジラはどの程度の知能を持つのか?」だ。
どこまで「本能」ではなく「意志」のチカラで行動しているのか?
過去の作品では、モスラ語を理解し、人類に協力するかどうか、自分の意思で決めていた事もあった。
キングコングと戦った時は、猿に対して犬程度の知能では戦っていたと思う。その後の擬人化された不毛な時代は問題外として、平成のゴジラはどうだっただろう?
そして今回はというと・・・やはりイグアナかワニ程度の知能に見える。ティラノサウルスはどの程度の知能だったのかわからないが、ティラノ程度?
今回、姿カタチが納得出来るゴジラであったとしても、そこの設定に不満が残る。もう少し知能が高ければ、真の人類の脅威=神であり悪魔でもある存在にまでなりえたのではないだろうか。

ここでこの機会に「ゴジラとは何なのか?」を考えてみたいと思う。

始まりは、アメリカのビキニ環礁での核実験によって、日本の漁船、第五福竜丸が被爆するという現実のニュースがあった。
そこから原爆実験によって太古の恐竜が眠りを覚まされ、被爆怪獣ゴジラとして日本に上陸する。というストーリーが生まれる。
つまり、その生い立ちは「核」とは切り離せないのだ。
しかし、なぜゴジラは「被爆国・日本」を襲うのだろう。敗戦の痛手からまだ立ち直れないでいる昭和29年の日本を。
再び戦争を思わせるような焦土と化してしまうのか?
恨み、怒るのなら、矛先はアメリカに向かうべきだろう。
当時の日本は(今もだが)アメリカを恨み、怒る感情は持ってはならなかったのだろう。
とすれば、ゴジラの襲撃は、再びアメリカから核爆弾を落されたようなものだ。
つまり原爆投下の再現。アメリカはこんなにも酷いことを日本に対して行ったのだと言うことをカタチを変えて抗議したのだろうか?
それを反戦映画ではなく娯楽映画のカタチで訴えたのだとしたら、スゴいことではないだろうか?
第1作目のゴジラには、そんな反戦の臭いもプンプンしていた。
2作目以降は、そんなテーマは微塵もなく消え去り、日本映画界が生んだ世界的大スターとして大活躍することになるのだが。
1作目の最後の山根博士のセリフ「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また、世界のどこかへあらわれてくるかも知れない・・・」。これほど、明確な反核メッセージはないだろう。
これを踏まえて、60年後の今、ハリウッドで再生したゴジラはどうだろう?もちろんアメリカは、ゴジラの脅威=核の脅威とは出来ない。微妙に視点をズラし、核実験がゴジラを殺すためだった。などの言い訳をこじつけている。
自然界の驚異的な存在に見える。
今、原発の是非が議論されているからこそ、今一度「ゴジラとは何か?なぜ誕生したのか?」原点に戻って考えてみる必要があるのではないだろうか?