枯れない無花果〜閉ざしてしまった篭

(ren)

『枯れない無花果(いちじく)~閉ざしてしまった篭』。
『手紙的小説』と言えばいいのか?この作品に出逢った時に衝撃が走りました。
荒削りの作品ではありますが、著者の『泥』や『毒』が文字一つ一つの『言の葉』に詰まっています。

【哀切】(アイセツ)

第 8回

2014.6.15更新

三歳を迎える少し前、父は結婚して初めて仕事に就きました。
それをきっかけに、同じ地区のアパートへ、
父と母と私の三人で移り住みました。

お風呂はなく、トイレは共同、1棟2階建てで、3棟が並んで建っていました。
私のお家は、真ん中の棟の一階で、
換気扇もなく風通しの悪い、陽の当たらない暗い場所でした。
アパート自体は新しく、玄関を入ってすぐ、四畳半の台所兼居間と、
奥に六畳の部屋がひとつありました。
1棟と2棟の間には蓋のない溝が掘られていて、
夕飯時は、この溝に各家庭の使用水が、一斉に溢れ出てきました。
ジャブジャブという音と生活水の匂いがします。

玄関をでて、トイレに向かう正面には、
深い緑の、大きな手を何本も広げたような高い木が、
いつもゆっくり揺れていて、
外灯もなく、夜はその木が生き物のように見えました。
夜、トイレに向かうときは、その木を見ないように歩きました。

そこへ引越後、間もなく父は、仕事を理由に殆ど家に帰らなくなりました。
たま帰ってきても、私や母と会話をすることもありません。
母と二人の暮らしに慣れてしまい、
父がたまに家に居ると、私は、かえって落ちつかず、
それでも少しだけワクワクして、
父の好きなビールが切れてないかを、気にしたりしました。
でも、すぐにまた居なくなって、母と二人の暮らしに戻ります。

母は毎日、帰らない父の食事も用意して、
出かける時は、父にメモを残しました。
夜は遅くまで起きて父の帰りを待ち、
玄関の電気も点けたままにしていました。
お友達のお父さんは、毎日お家に居るみたいなのに、
どうして、ここには来ないのか不思議でした。
お仕事を聞いても、よくわかりませんでした。

この頃から、私の不眠症のピークが続きます。
一睡もできない日が何度もありました。
陽が傾く時刻になると、眠れない不安が起こってきます。
夜が来るのがとても嫌でした。
夜中ひとりで起きていると、闇が襲ってくるような、
真っ黒な不安が胸を押しつけます。
父も居なくなって、眠ってしまって目覚めた時、
母も居なくなっているのではないか。
この部屋で、ひとりぼっちになってしまうのではないか。

暗闇の中、何度も母が横に居ることを確かめ、
耳をすませて、母の寝息を確かめました。
それでも不安が遠くに去ってくれない時は、

「おかあさん・・・。」と、何度も母を起こし、

「早く寝なさい」と、返事をもらいました。

母を起こして、何か話をするでもなく、
ただ、ここに私が居ることを、母に伝えたかったのです。
そして母の返事をもらうことで、
母がまだ、横に居てくれていることを、実感したかったのです。
母の声と体温を感じて、私はまた目を閉じることが出来ました。
こんな夜を重ね、3歳を迎えました。

保育園での緊張と、夜の緊張とで、
私はよく腹痛を起こすようになりました。
それは、必ず夜中に起こりました。
夏が過ぎて冬になっても、
夜中の腹痛は治まりませんでした。
冬の寒い中、部屋を出て、棟の一番隅のトイレに向かわなくてはなりません。
一人で向かうときもありましたが、大抵は母を起こし、
済むまで前で待っていてもらいました。
この頃から、母は、眠らない私を叱るようになりました。
火の点いたマッチを手の甲に当て、『やいと』をされたことがありました。
手の甲には小さな水膨れがいくつもできて、
私はその水泡の山を触って遊びました。
夜中に起こすと、母は手を挙げるようになりました。
激しくぶたれてパジャマのボタンが取れ、
袖が破けることもありました。
玄関から表の溝に投げられて、鍵をかけられたこともありました。

でも、私を叱るときの母は、
いつも、いつも、とても悲しい顔をしていました。
怒りの表情ではなく、悲しみでいっぱいの顔。
私に向かってくる、悲しみの感情。

人の辛さの感情を、私はこの時、全身で知り、
ぶたれる痛みよりも、この感情を受けとめてあげたいと思ったのです。
[母を守りたい]という想いが生まれたのは、この時からだと思います。