枯れない無花果〜閉ざしてしまった篭

(ren)

『枯れない無花果(いちじく)~閉ざしてしまった篭』。
『手紙的小説』と言えばいいのか?この作品に出逢った時に衝撃が走りました。
荒削りの作品ではありますが、著者の『泥』や『毒』が文字一つ一つの『言の葉』に詰まっています。

共 鳴

第5回

2014.2.15更新


退院日の朝、時間が来ても、父は出産費用を持って来ませんでした。
母は、荷物を整え身支度を済ませ、待機室で私を抱きながら、
ずっと窓の外を眺めていました。
昼が過ぎ、待機室で授乳を済ませてオムツを代え、
そして辺りが薄暗くなりはじめても、窓に父の姿を見ることはありませんでした。
気にする母を見かねたのか、助産婦は、

「もうお帰り」

母の腕の中で眠る私に、言葉をかけました。

「費用は後日お持ちします」

母は丁寧に挨拶をして、私たちは退院しました。

私を連れて長屋へ帰った母に、玄関口で掛けられた家族から第一声は、

「甲斐性も無いのに子供なんか産みやがって。」

祖母の内縁の夫の冷罵でした。
それに続き祖母は、私の頭の上で、

「うちの息子は子供の作り方なんて知らないからね。それは何処の子ですかねぇ。」

しばらく母は、何を言っているのか理解ができなかったそうです。
突然何が起こったのかも。
父は、その時まるで他人事のように、無関心に黙ったまま、母を見ませんでした。

それから、その人達は、母と私を、其処に居ないかのように、目を向けず、
[私の存在]を拒否しました。
そこには、重い空気と醜い感情しかありませんでした。
四日間、陣痛で苦しみ、家の初孫である命を産み、
子供を連れて初めての帰宅の時、かける言葉は何でしょうか。
この時の事を、私は勿論憶えてはいません。
でも、この時の流れる空気を、この人間達の感情の存在を、
私は、しっかりと記憶することになります。無意識の底に。
母のお腹にいた時から、私は何度もこのような言葉を聞いていました。
母の緊張も、苦しみも、血の流れも、鼓動も。
そして、とても不思議なことですが、この人達の声を、
私は今も、何処かでみた夢の一部のように、記憶しているのです。
そして今でも、ふっと、思い出すのです。

此処はこの子の居る場所ではないと、
母は、そのまま玄関から足を踏み入れず、実家へと向かいました。
引きとめる者もなく、道すがら母は、

[この子以外に子供は生まない。何があっても私が守り抜く。もし、私が居なくなっても、一人で生きてゆけるように、甘やかさず男の子の様に育てよう。]と、決心したそうです。

母と私が居なくなっても、誰も二人を探しませんでした。
一ヶ月後、助産婦が出産費用を父の所に集金に来ましたが、
「払えない」と帰してしまい、
仕方なく助産婦は、母の実家へ請求にやって行きました。
このまま、実家に居ても迷惑をかけると思った母は、
父の元に戻ることにします。
毎日この子と関われば、きっと父も愛情が湧くに違いないと、
願いと不安を持って。
しかし、出産費用が支払われたのは、
残っていた鏡台をと着物を、母が質屋に持っていき、
やっと現金を手にすることができた3ヶ月後のことでした。