泣き虫日記
髪 切 達 人
京都・上賀茂 御薗橋。閑静な住宅街の中の隠家的理髪院『古川理髪院』の親父の泣き虫な日記。腰に鋏を刀の代わりにぶら下げて『SAMURAI』の『心』をいつも持つ。昭和37年生まれの寅年。最近涙もろくなってきている。
浜田麻里
第12回
なんで泣いてるの?ってきっと思われてるわな。
浜田麻里のベストアルバム第3弾に入っていたDVDの動画を家で見ながら泣いてしまった。
24歳違うウチの嫁にしてみれば、30周年のアルバムを出しただけのただの元綺麗な歌手で
HRを唄う人にしか思えんでしょうな。
30年と一言でいえば
やはりただの30周年なんやけど、
浜田麻里とは同じ年。
今年51歳。
私が楽器ををバチバツとやり出した頃。
巷のニューミュージックの流れとは別に
HM(ヘヴィーメタル)の流れがあった。
その中でも女性で
必死のパッチでやってたのが浜田麻里。
何よりもデヴューアルバムのバックミュージシャンはなんとラウドネス。
当然音がずっしりと重い。
当時のっていたトレノのAE86
カセットテープでガンガン聞いていたHM。
それ聞きながら山を走る。
峠をはしる。
トレストのマフラーでゴ==っと言わす。
アホな時代だった。
浜田麻里がポップに走り、
にこやかに笑顔を振りまきながらテレブに出だした頃。
ちょっとこれはちゃうやん!って思った。
ラウドネスもレイジー時代に
『赤ずきんちゃんご用心』がいやで
やめたんやろ!って。
売れる為にはしょうがないのか…と
しかし、
HMのファンは確実に離れていった。
オリンピックのイメージソングになった時に
しっかりと私は彼女の曲を聞かなくなった。
そして数年。
ラウドネスのドラマーの樋口さんが急死した。
そして浜田麻里の活動も止まった。
これには深い意味がある。
何年かあと、彼女の復活ライブがあった。
そんとき泣いた。
そして今回
30周年記念ベストアルバムを発表。
1曲目から頭突きをされた。
浜田麻里が戻ってきた。
同じ年の浜田麻里。
私もがんばらななと。
追記
浜田麻里の妹の絵里さんのコーラスは
たまげるほど凄い。