泣き虫日記

髪 切 達 人

京都・上賀茂 御薗橋。閑静な住宅街の中の隠家的理髪院『古川理髪院』の親父の泣き虫な日記。腰に鋏を刀の代わりにぶら下げて『SAMURAI』の『心』をいつも持つ。昭和37年生まれの寅年。最近涙もろくなってきている。

浜田麻里

第12回

2013.08.15更新

なんで泣いてるの?ってきっと思われてるわな。
浜田麻里のベストアルバム第3弾に入っていたDVDの動画を家で見ながら泣いてしまった。
24歳違うウチの嫁にしてみれば、30周年のアルバムを出しただけのただの元綺麗な歌手で
HRを唄う人にしか思えんでしょうな。

30年と一言でいえば
やはりただの30周年なんやけど、
浜田麻里とは同じ年。

今年51歳。

私が楽器ををバチバツとやり出した頃。
巷のニューミュージックの流れとは別に
HM(ヘヴィーメタル)の流れがあった。

その中でも女性で
必死のパッチでやってたのが浜田麻里。

何よりもデヴューアルバムのバックミュージシャンはなんとラウドネス。
当然音がずっしりと重い。

当時のっていたトレノのAE86
カセットテープでガンガン聞いていたHM。
それ聞きながら山を走る。
峠をはしる。
トレストのマフラーでゴ==っと言わす。

アホな時代だった。

浜田麻里がポップに走り、
にこやかに笑顔を振りまきながらテレブに出だした頃。
ちょっとこれはちゃうやん!って思った。

ラウドネスもレイジー時代に
『赤ずきんちゃんご用心』がいやで
やめたんやろ!って。

売れる為にはしょうがないのか…と
しかし、
HMのファンは確実に離れていった。

オリンピックのイメージソングになった時に
しっかりと私は彼女の曲を聞かなくなった。

そして数年。

ラウドネスのドラマーの樋口さんが急死した。
そして浜田麻里の活動も止まった。
これには深い意味がある。


何年かあと、彼女の復活ライブがあった。
そんとき泣いた。

そして今回
30周年記念ベストアルバムを発表。


1曲目から頭突きをされた。

浜田麻里が戻ってきた。

同じ年の浜田麻里。

私もがんばらななと。


追記
浜田麻里の妹の絵里さんのコーラスは
たまげるほど凄い。

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