ありがとう

第15回

いろんなことに携わっていて、
いろんな人と関わっていて、
やはり大事なのは感謝の言葉の表現だと最近になって富に思うし、考えさせられる。
どんな丁寧なビジネス的な尊敬語や社交的な丁寧な文字や文脈で表現されても何故だがわからないし根拠はないけど、その文字から伝わる『愛』を感じない事があるし、自分でもそうなんかもしれんって思う。

古川理髪院以外の仕事でデザインや企画のものがあったり、イベントもある。
いろんな担当者と出会うし、話もする。
社交辞令的な『ありがとうございます』ってのは普通にやり取りされる。
『いつもありがとうございます。』『いつもお世話になります。』
って感じ。
でもなんだかその文字を見てて何も感じない。
心がないし、愛がない。
別に愛せよ!って思ってないけど。伝わるものがない。
なんなんやろ。この不思議な感じ。
でもね、結構その感覚ってあたってる場合がおおい。

企画物なんかの場合に多いのは、その担当者の自己満足というか、ただただ仕事をこなしているというのが多々ある。
その仕事の先にはユーザーがいることを忘れてしまっているのかもね。

制作サイドとそれを依頼する側の二手だけで満足して終わっている仕事は長続きしない。
なんでか?お客様や、ユーザー視点にいないから、結局その仕事はお客様やユーザーに伝わらない事になってしまう。

プレゼンでユーザー目線の事をお伝えしても
結局のところ『それはまだ早い』『それは必要ない』『それは次回に』とかで逃げられる。いいのか?っていつも思う。

そのうちプレゼンをする事もやめるし、その仕事は『やっつけ』になってしまう。
オーダーされた事をすることになる。
いい結果が生むはずもない。
大事なのはユーザー。

そこでも『ありがとう』は飛び交う。

『いつもお世話になってありがとうございます。』
思ってないやろ!こっちも思ってへんわ!って。

商売や、個人事業のお店の場合は、オーナーの個性やこだわりが大事。
それは尊重するし、とても大事なキャラだと思う。
社会的に大事な内容のものや、その類のものの場合は違う。
大義名分が道徳的なことであり、とても深い事であると、ある種怖い組織となる。
そのポジションを自分で見誤ってはいけない。
発信する側の責任とちゃんと伝える事と広げる事に義務がある。

そこでも『ありがとう』は飛び交う。

大事なのはユーザーでありお客様。
これが一番なのに。

仕事の上で敬語は大事。
でも長年の付き合いなれば敬語は消えていっていいと思ってる。
相手の担当者さんがその組織の担当者さんならば敬語は絶対だけど、
オーナーさんであるのならば敬語は消えていってもいいのじゃないかな?って。

WIN WINの関係の上で、
お互いの求めるものをちゃんと理解しあうことができていれば
それって戦友やん。

それだけ距離が近づいていたら、相手の一挙一動にとても敏感でいられる。
メールの一文だけで体調がわるいんちゃうか?とか機嫌が悪いのか?までわかる。
それでこそ戦友だよね。

ありがとうって言葉
とても大事でとても深い。
そして
全部見えちゃう。

こないだ
友人の妹に美術館のチケットを送ってあげた。
『ありがとう』ってメールをくれた。
ほんまに本心でありがとうっていう心が伝わってきた。

これとあれとはどう違うの?

なんなのかな?

ありがとうって難しい。

ただ言えることは
『ありがとう』って文字や言葉で涙が出ることがある。
それってさ。ほんまもんの『ありがとう』なんやろね。

って思う今日この頃明日明後日。