太陽が眩しかったから

第102回

死を考えることが多かった。
いやいや別に病んでいるわけではない。
いや本当は病んでもいるからややこしい。
そうではなくて、このところ大阪北部地震。
異常な大雨による避難指示。危険すぎる暑さ。
7月に災害級の熱波が来たんだから8月はさぞ
涼しかろうと思いきや体温越えのホットな毎日。
「死んでまうやろ」である。
私は改めてハザードマップでおさらいをした。
するとどうだろう。水害では0.5~3m、地震では
震度6強のエリアに住んでいることがわかった。
「ワシ、わりと死ぬな」と確認した。

 そこへオウム真理教の死刑囚全員への
刑の執行があり、かねてからカルトや死刑囚に
興味のあった私は再び多くの情報にあたり、死を目の前に
した人間の最期の行動や言動に「うわあああ」と
なんとも形容しがたいが、足元から多くの虫が
這い上がってくるような、迫る気持ちがした。

 就寝・起床前後で脳がまだ明晰ではない状態で
無意識に色んなことが頭のスクリーンに浮かんで
くることがある。意識して考えているのではなく
勝手に走馬燈が始まるのだ。しかもそれは大抵
美しい思い出ではなく暗い走馬燈だから困る。
 ちっぽけな人生、毎日毎日同じようなことを
繰り返すことに何の意味があるのか、何も
成し遂げていない自分、誰の役にも立てていない人生。
これらは現在の虚しさだろう。
 つらかった子供時代、思い出したくない出来事、
取り消したい過去、なぜあんなことをしてしまったのか。
これらは過去の後悔だろう。
 そして必ず浮かぶのが、傷つけてしまった人々、
もっと正しい飼い方をしていればもっと長生きが
できたかもしれない代々のペットたち、理想の
母親になれなかった自分。
これらは終わるかもしれない未来を前にした謝罪だろう。

 こんな走馬燈が何度も何度もめぐってきては
頭を振って寝室の時計を見つめ、頭を切り替える。
そんなことがずっと続いていたのだ。それが先日
どういうわけか、頭を切り替えずにそのまま自問していた。
 では生まれてきてよかったこととは何だろうかと。
1秒もかからず答えは出た。子供たちと出会えたことだ。
出会えてよかった。私も生まれてきてよかった。
その後も浮かんだ。ペットたちが私の元に
来てくれたことだって最高の出会いだ。
私の近くに現れてくれてありがとう。
私の側にいてくれてありがとう。
 その後も浮かぶことは、全て出会いだった。
これらには感謝の気持ちでいっぱいだ。
なんだ、私、けっこう幸せだったりするのかも。

 眠れない夜。学生時代の元カレを検索して
彼とそっくりな男の子が彼と同じサッカーをしてるのを
発見してほんわかしたり、頭のおかしい元友人の消息を調べたり、
にっくき男の恥ずかしい姿を発見して吹き出したり、
今は亡き千葉県の祖母宅をストリートビューで
繰り返し眺めては寂しくなったり、身内の事故物件を
大島てるに登録してみたり、ドアノブ首吊りの方法を
調べた後に、首つり自殺未遂の後遺症を知って戦慄し、
家族や友人にわざわざ恐ろしいURLを送ったり。
往々にして、夜の考え事にはろくなことがない。
 さらに言えば、夜のショッピングや衝動買いもろくなことがない。
先日も10㎏超えの巨大スイカを夜中に注文していまい
昨年に続き今年もかと家族にげんなりされたところだ。
当然理由を聞かれた。「なんでいつもそうなのか」と。
そんなもの知らねーわ。強いて言うなら、
ムルソーが言った通り「太陽が眩しかったから」
これしかないだろう。
巨大スイカも深夜の蛮行も、そう人生のあれやこれやも。
全て全て。